現代アートを作った天才 マルセル・デュシャン

Duchamp

天才の経歴

1887年0歳:フランスに生まれる
1904年17歳:『階段を降りる裸体』
1911年24歳:『汽車の中の悲しげな青年』
1912年25歳:『階段を降りる裸体No.2』、『花嫁』
1913年26歳:
ニューヨークのアーモリー・ショー『階段を降りる裸体No.2』を含む4点を展示された
最初のレディメイド作品『自転車の車輪』制作
1914年27歳:『瓶掛け』をデパートで購入
1915年28歳:渡米、『彼女の独身者達によって裸にされた花嫁、さえも』(大ガラス)制作
1917年30歳:『泉』をニューヨーク・アンデパンダン展に匿名で出品
1919年32歳:『L.H.O.O.Q.』『パリの空気50cc』
1934年47歳:『グリーンボックス』
1946年59歳:『(1)落下する水、(2)照明用ガス、が与えられたとせよ』(遺作)制作
1965年78歳:『髭を剃られたL.H.O.O.Q.』
1968年81歳:死去。墓碑銘は、「されど、死ぬのはいつも他人」

現代アートとは

現代アートの父と言われるデュシャンを語る前にまずは現代アートというものを知ろう。現代アートというと難しくてよくわからないという人が多い。むしろ、現代アートとはわからなくて当然のものである。ということを知らない人も多い。逆にいうと現代の現代アートに比べるとデュシャンは非常にわかりやすいと言える。

現代アートとは、ざっくりいうと、作者が自分のフィルターを通して、現代社会の情勢や問題を捉え、これまでの歴史や伝統、文化への批評性表現であり、作品よりもその考え方や捉え方に意味があるとされる。
作者自身の教養や表現力も重要だが、見るものにも相応の知見がなければ理解できない物も多い。その上で誰もが理解できるものとして作られるものも多い。

天才なところ

現代アート以前の近代アートに関してデュシャンは、「網膜的絵画」という目から快楽を得られるアート(目での快楽しか得られない)と批判し、それだけがアートではなく、アートとは“思考することを楽しむ”ことであると、コンセプチュアルアート(観念の芸術)作品を制作し続けた。

中でも、有名なのが「レディ・メイド」の作品、レディメイドという言葉の意味は既成品という意味だが、デュシャンの作品としてのレディメイドは、デュシャンが視覚的に「無関心」なオブジェを選択し、それをアートとして展示する。無関心のオブジェとは、作品名『泉』で有名な便器のように、思想や想いのない機能として存在する工業製品などの量産品のことである。

『泉』で実行されたアートは、ただ、鑑賞者が美術館に展示している“それ(泉)”を見て、鑑賞者が勝手に芸術的文脈で解釈をすすめていくことを目的とするかのように、作者不明でそれが置かれた意図もわからないように出品された。

デュシャンは、芸術家たちとの交流だけでなく、他人との交流もあまり積極的ではなかったようで、デュシャンの考え方や作品に対する説明など、デュシャンの思想が明確に残されているものは少ない。どの解釈が正しいか、はたまたどれも正しくないのかもしれない。マルセル・デュシャンは知れば知るだけおもしろいので興味のある人は、下記の作品を読むと良いと思う。

まとめ

デュシャンは知的好奇心を刺激させてくれるという意味では、本当におもしろい存在である。ピカソ、マティス、デュシャンの3人が形作った現代アートはどれも難解だが、理解という意味ではデュシャンの作品は明確な答えがないだけに、興味や好奇心がないと、「やっぱりアートはよくわからない。」と投げやりな態度になってしまうのもよくわかる。

ただ、デュシャンを理解すると、アートというものの見方がわかると思う。作品自体の意味は、時代背景やアートの歴史がわからないと理解するのは難しいが、デュシャンの考え方はわかりやすい。
現代アートだけでなく、アンディ・ウォーホルのようなポップアートや、デザインを理解する上でデュシャンは絶対に外せない存在である。

 

 

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