デザインの天才 アンディ・ウォーホル

ウォーホール

天才の経歴

1928年0歳:アメリカに生まれる
1949年21歳:ニューヨークへ移り,50年代は商業デザイナーとして活躍した.
1961年33歳:『キャンベル・スープ缶』『ドル紙幣』発表
1962年34歳:マリリン・モンローシルクスクリーン量産
1964年36歳:アトリエ「ファクトリー」
1965年37歳:『The Velvet Underground & Nico』プロデュース&ジャケットデザイン
1968年40歳:「ファクトリー」内で銃撃
1972年44歳:毛沢東ポートレイト製作
1987年58歳:死去

天才の幼少期

8歳の頃体の色素を失い引きこもりになる。引きこもり時代にラジオを聴き、絵を描き、映画スターの写真をコレクションして、ひきこもり生活を楽しんだ。カーネギーメロン大学に進学し、広告芸術を学んだ。大学卒業後、ニューヨークへ移り、『ヴォーグ』や『ハーパース・バザー』など雑誌の広告やイラストで知られた。1952年には新聞広告美術の部門で「アート・ディレクターズ・クラブ賞」を受賞し、商業デザイナー・イラストレーターとして成功する。

天才なところ

アンディ・ウォーホルといえば、ポップアートだ。これまで貴族など、お金持ちのものであったアートが、ピカソやデュシャンによって解体され、私たち大衆(ポップ)のもとへ還元したのが、ウォーホルだと言ってもよいだろう。

ウォーホールが行ったことは、アートの大量生産だ。それまでは、「一点物」であることが大きな価値でもあったアートを、誰でも真似できてしまうよう大量生産し、「アートの価値とは何なのか?」という問いを世界中のアーティスト達に投げかけた。また、商業デザイナーであったウォーホールらしく、アートを広告に使うことでアートを大衆にも広めた。

その風貌や奇行から、変人として語られることが多いウォーホールだが、個人的には、アメリカ消費社会において、ビジネスにアートを取り込んだウォーホルは、アーティストではなく、ビジネスマン(デザイナー、プロデューサー)という見方もできると思う。
ウォーホールの作品をアートだとありがたがることもできるが、下記の言葉を残しているように、ウォーホールはアーティストと言うよりは、超一流のデザイナー(大衆の欲望を叶える)だったと感じる。
「お金を稼ぐことは芸術、働くことも芸術、うまくいっているビジネスは、最高のアートだよ。」

まとめ

ウォーホールに対する意見は様々だ。日本のCMなどにもでており、その作品性や、銀髪かつらという容姿、数々のセレブリティなどとのパーティーなど、ポップスターのような印象が強い。
「未来には、誰でも15分間は世界的な有名人になれるだろう」という言葉など、数々の有名語録を残しているが、先見性として今のような未来が見えていたのだとするとおもしろいなと思う。

 

 

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