悪魔的天才 ジョン・フォン・ノイマン

JohnvonNeumann

悪魔的天才 ジョン・フォン・ノイマン

一言まとめ

アインシュタインのライバル的存在。

天才の略歴

1903年0歳:ハンガリーのブダペストに生まれる
1921年18歳:ブタベスト大学、ベルリン大学、チューリッヒ工科大学入学
1931年28歳:渡米。プリストン大学客員教授就任
1932年29歳:『量子力学の数学的基礎』出版
1933年30歳:プリストン高等研究所教授就任
1943年40歳:「マンハッタン計画」に参加
1944年41歳:『ゲームの理論と経済行動』出版
1945年42歳:「一般経済均衡モデル」発表
1951年48歳:米国数学界会長就任
1952年49歳:高等研究所のコンピューター完成
1957年54歳:死去

天才の幼少期

幼いころから父による英才教育を受け、ラテン語、ギリシャ語、古典ギリシャ語まで習得。6,7歳の時には、8桁の掛け算までこなせ、さらに「微積分法」を使いこなし、12歳の頃には「関数論」を読破した。17歳で交友のあった数学者と共同で数学論文を書き、ドイツの数学会誌に掲載される。大学生時代、ブダペスト大学の化学工学科、ベルリン大学で数学、チューリッヒ工科大学の3校に掛け持ちで通い、23歳で数学・物理・化学の博士号を取得した。

天才なところ

20世紀を代表する数学者・科学者。経済学のゲーム理論、量子力学の数学的基礎、原子力の開発計画マンハッタン計画にも参加した。最も有名なのは、ノイマン型コンピューターと言われる現在のコンピューターの基礎を作ったことである。ノイマン型というと?と思ってしまいますが、私たちが普段使っているコンピューターは基本的にノイマン型である。
マンハッタン計画に参加し、原子爆弾を作れることを証明した。また、ソ連のスパイと水素爆弾を共同で開発していたこともあったりと、後年スタンリー・キューブリックの作品、映画『博士の異常な愛情』のモデルともいわれ、その頭脳の明晰さは悪魔的だと言われる。

その天才性には、様々な逸話が残っている。
・数学者が3ヶ月かかってといた難問を一瞬で解いた
・一度見聞きしたら、決して忘れない写真のような記憶力
・コンピュータ並みの計算速度 実際、ノイマンは、自らが発明したコンピュータと競争し勝利している
・ノーベル賞受賞者ですらついていけない頭の回転

まとめ

一般的にはあまり知られていないジョン・フォン・ノイマン。『博士の異常な愛情』のストレンジラブ博士のモデルとも言われるぐらいその天才性と狂気性は悪魔的魅力がある。実際に悪魔的だったとは思わないが、『ゲーム理論』などを読むと、純粋に感情よりも合理性や論理を重視していたのだろう。後世に残る写真の影響もあってか実際の人物を知らない私たちからすると、アインシュタインが、愛嬌のある天才(実際写真はおどけたわけではないらしい)として陽の存在ならば、陰の存在としてノイマンはわかりやすい対象になるのだろう。お互いに、『天才は誰か?』という問いに対し、お互いの名前をあげていることも、その光と影感を表しているようでおもしろい。

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