女性を人間にした天才 ココ・シャネル

シャネル

天才の経歴

1883年0歳:フランスに生まれる
1909年26歳:マルゼルブ大通りで帽子のアトリエを開業
1910年27歳:パリのカンボン通り21番地に帽子専門店「シャネル・モード」を開店
1913年30歳:ドーヴィルに二号店を開店。
1915年32歳:ビアリッツに「メゾン・ド・クチュール」をオープン
1916年33歳:コレクションを発表し大成功を収める。ジャージー素材ドレスの発表
1921年38歳:パリのカンボン通りの店を31番地に拡張し、香水「No.5」を発表
1924年41歳:イミテーションパールのアクセサリーを発表
1954年71歳:フランスのファッション界にカムバック
1971年88歳:死去

天才の幼少期

幼少期に母親が他界し孤児院や修道院などで育つ。当時の修道院学校は、お金持ちのお嬢様が行儀見習いや勉強に来ることもあり、小さい頃から階級の差を強く意識していたと思われる。同じ学校に父方の叔母がおり、彼女がファッションに強く関心を持っていたことも、シャネルがファッションに興味をもったきっかけだろう。孤児院を出た後、裁縫の仕事に就いたが芸能界に憧れ歌手を目指した。

天才なところ

シャネルが女性ファッション業界にもたらした影響はとてつもなく大きい。当時の女性は人形のようであることが求められ、コルセットでウエストをきつく締め、大きな帽子が主流であり、しきたりでもあった。きつく締められたコルセットを、洗濯の時でさえつけたままの女性たちは、しょっちゅう気絶し、気付け薬がかかせなかったそうだ。
そんな時代の中、シャネルが一番始めに作ったのが小さな帽子。当時はあくまでも知人用に作っただけだったが、その使い勝手の良さが評判を呼び帽子専門店を開くまでに至る。その後もシャネルの感性は、女性ファッションに様々な革新を生み出す。
当時、男性用肌着に使われていたジャージー素材を女性服に使うことで、柔らかく着心地の良い服を作ったり、有名な『No.5』は、それまで、貴族階級の女性か娼婦しか使わなかった香水の大量生産を実現し、すべての女性が香水をつける文化を作った。
また、人形のような華美なデザインドレスの中で、シンプルさが際立つリトルブラックドレスや、アメリカでは女性の社会進出が増える中、オフィスにもパーティーにも着られる『シャネル・スーツ』で有名な女性用スーツを作った。
幼少期の孤児院生活から、その後も続く波乱万丈の生活の中で様々な事象と出会うことが、シャネルの発想の原点となっているのだと思うが、今もなお多くの女性を魅了しているのは、女性現代ファッションの第一人者として、女性の新しい在り方を世の中に提示したのがシャネルの最も偉大なところと言えるだろう。
余談として、シャネルはかなり痩せた体型で、自身がモデルとしてシャネルの服を着ていた影響から、現在に至るまで「ファッションモデルは痩せている方が美しい」という固定観念が生まれたといわれる。
『孤独は私を鍛えた。私はきつい性格よ。精神も鍛えられたわ。私は誇り高い。体も鍛えられてとても丈夫よ。家族という甘い幻想も無いまま、私は一人働き、生きていく。』

まとめ

現代は、基本的には女性も男性も差のない時代であるが、当時は女性をモノとして扱われていた感がある。人権問題は現代にまで続く大きな問題だが、程度の差はあれ人種差別に近い難題に対しシャネルは戦い続けた。戦いというと少し違うのかもしれないが、すべからく天才と言われる人たちは、それまでの常識や規範を覆し、新たな価値観やライフスタイルを作り上げてきた。まだまだ、天才と言われるのは男性の方が多いが、女性を代表する天才として、ココ・シャネルという存在をより多くの人に知ってほしいと思う。

 

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