万能の天才 レオナルド・ダ・ヴィンチ

レオナルド・ダ・ヴィンチ

万能の天才 レオナルド・ダ・ヴィンチ

レオナルド・ダ・ヴィンチその作品や名前を知らない人はいないと言っても過言ではないほど、誰もが知る天才。

一言まとめ

最強のインプット力とアウトプット力

天才の略歴

1452年0歳:イタリアに生まれる
1466年14歳:ヴェロッキオの工房へ入門、以後は活動拠点をフィレンツェへと移す
1472年20歳:フィレンツェで画家組合であるサン・ルーカ同心会に登録される
1472年-1475年:受胎告知
1482年30歳:工房を開く
1483年-1486年:岩窟の聖母
1490年代:最後の晩餐
1500年代:モナリザ
1502年48歳:教皇軍総指揮官チェーザレのもとで軍事顧問兼技術者に着任
1516年62歳:フランソワ一世の招きによりフランスへと移住
1519年65歳:死去

天才の幼少期

レオナルドは、イタリア・トスカーナのヴィンチ村に生まれました。 幼少期のことはあまりわかっていませんが、 ラテン語・幾何学・数学を習っていたといわれています。 ダ・ヴィンチの天才性が育まれたのは、 14歳のときヴェロッキオという名前の芸術家の工房に入ったのが 大きなきっかけになったと思われます。 ヴェロッキオは絵画や彫刻など複数の分野で活躍した人で、 ヴェロッキオのもとで様々な経験を積んだのが、 万能の天才ダ・ヴィンチを作り上げるきっかけになったのでしょう。 絵画や彫刻だけでなく、設計や機械工学といった、 芸術から少し離れた分野でも、この時期から活動し始めたといわれています。

天才なところ

万能の天才と言われる通り、ダ・ヴィンチの天才性はその網羅性です。 画家としての作品は言うまでもありませんが、 発明家として飛行機の設計をしたり、 建築家としてミラノ大聖堂の設計に参加したり、 解剖学にも精通し、医師であり、科学者の側面も併せ持っていました。 卵が先か鶏が先かはわかりませんが、 画家として、そこにすべてを表現するためには、 すべてのことに精通している必要があると考えていたのかもしれません。 ダ・ヴィンチの性格を一言で表すとチープな表現ですが、 徹底的なリアリストであり、こだわり屋といえると思います。

天才の習慣

ダ・ヴィンチの話の一つで鏡文字を使っていたことことは有名な話です。 その理由は諸説ありますが、個人的には出版を想定していたというのにグッときます。 当時は神話は別にして、現代のようにフィクションが当たり前の時代ではなかったと思います。 そんな時代に、嘘(フィクション)が広まるというのは、 風評被害や事実無根の口実に使われるなど非常に危険が伴ったと思われます。 だからこそ、事実考証を徹底するために、 全ては徹底的に分析され完璧に記録されていたとしたら。 ダ・ヴィンチが人が好きという話は聞いたことはありませんが、 命の期限というのを知っていたからこそ、 後世に残る可能性のあるものに無限の広がりを与えるべく、 絵は細密に完璧に描かれ、考え方は広がりやすいように印刷を想定して書かれていたのだとしたら、 胸熱ですよね。

まとめ

精密な機械のようにすべてが計算され尽くした作品を作れたのは、 嘘を許さない徹底的なこだわりがあったからだと思います。 常人に簡単に真似できるものではありませんが、 解剖実験のように、知りたいものはどこまでも調べ続けるという探究心と、 頭の中に描いたものを完璧に再現出来るようにする鍛錬が出来れば、 あなたもダ・ヴィンチの様になれるのかもしれませんね。

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