多動の天才 平賀源内

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多動の天才 平賀源内

一言まとめ

多動力の人平賀源内。多動力というと堀江貴文さんですが、
平賀源内もまさしく多動の人。

天才の略歴

1742年13歳:藩医(はんい・武士に仕える医者)の元で、本草学(中国医薬)、儒学、俳諧を学ぶ。
1752年24歳:長崎で1年間本草学、オランダ語、医学、油絵などを学ぶ
1757年29歳:日本初の博覧会を開催
1761年33歳:伊豆で鉱床を発見
1766年38歳:石綿(アスベスト)を発見 製品化幕府に献上
1768年40歳:初めての国産温度計タルモメイトル製作
1779年42歳:浄瑠璃『神霊矢口渡』初演
1776年48歳:エレキテル(静電気発生機)の復元に成功
1779年51歳:殺人の末獄中にて死去

天才の代表作

エレキテル:静電気発生装置の復元
量歩計:日本初の万歩計
火浣布:アスベストを使った燃えない布
神霊矢口渡:歌舞伎の演目にもなっている浄瑠璃作品

天才の幼少期

貧しい家野暮らしを助けるために、食べられる草や薬になる草をつみ販売していたのを
きっかけに本草学者(薬草学者)を目指すようになる。

未知のことに人一倍の興味をもつ源内は、
本草学の勉強をつづけながら、広い知識を求めて物語や文学の本も読み、
発明をしては人をおどろかせ、絵や物語を書いても人をおどろかせた。

天才なところ

本草学、地質学、蘭学、戯作、浄瑠、俳人、蘭画家、発明家、
その経歴を上げればキリがない。
圧倒的な知識量と圧倒的な行動力で、
世の中でまだ知らないものを改良し発信する。

レオナルド・ダ・ヴィンチのようなわかりやすい表現活動ではないので、
その存在はあまり広く知られていないが、
日本で初めて博覧会を開催したことや、
日本初の万歩計の製作やエレキテルの復元など、
まだ世に広まっていない最先端のものを世の中に発信していた。

中でも地味だが有名なのは、
土用の丑の日を考えたところだろう。
物産博覧会の開催やアスベストの商品化など、
実業家としての側面も強い。

死後、友人であった杉田玄白からも語られているように、
とても変わった人であったことが伺われる。

『 嗟非常人 好非常事 行是非常 何死非常 』
(ああ非常の人、非常のことを好み、行いこれ非常、何ぞ非常に死すや)
今風に言うと、
最先端の人、最先端のことを好み、その行動も最先端、
だからといって、死ぬときも最先端とは言えないか。。。

まとめ

薬学が現代で言うプログラミングだとしたら、
薬学から連想し学んだスキルが様々なものへと派生する。
多動によって身につけたスキルを失敗を恐れず様々に挑戦し、
成功させていく姿は、現代のIT長者さながらのよう。
脱藩というと坂本龍馬が有名だが、それよりも100年前に脱藩し諸国を飛び回る姿は、
ホリエモンこと堀江貴文さんを思い起こさせる。

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