新しい光を作った天才 中村修司

nakamura_shuji

天才の経歴

1954年0歳:愛媛県に生まれる
1979年25歳:徳島大学大学院工学研究科修士課程修了。日亜化学工業入社
1988年34歳:フロリダ大学電子工学部へ留学
1993年39歳:高輝度青色発光ダイオードを開発
1995年41歳:InGaN/GaN青色半導体レーザーの室温パルス発振を実現
1999年45歳:日亜化学工業 窒化物半導体研究所 所長
2000年46歳:カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授に就任
2005年51歳:水から容易に水素を取り出す原理の開発に成功
2007年53歳:世界初無極性青紫半導体レーザーの開発発表

天才の幼少期

小さい頃は海や山といった自然の中で遊ぶ子供だった。著書でも『自然とのふれあいが創造性を育む』と書かれている。数学や物理は好きだったようだが、いわゆる天才たちのような神童ではなく、負けず嫌いな性格と、その性格を伸ばしてくれた親の影響が強かったようだ。

天才なところ

中村修司さんといえば『青色発光ダイオード』の実用化でノーベル賞を受賞している。青色発光ダイオードの発明
によって、フルカラーの実現や白色発光ダイオードが作れるようになり電力の省エネ化を実現することができるようになったがそれまでは、青色は出せても弱く、量産化が非常に難しく、その実現は20世紀中にはできないだろうと言われているほどであった。
当時の研究開発環境や、その後の特許問題など研究者に対する日本の残念な現実の報道が話題を集めたが、個人的には、いわゆる日本の研究者のような地味な印象ではなく、熱量の強い研究者というイメージが強い。それ以降はアメリカに渡り、今も現役で様々な研究を行っている。

まとめ

ノーベル賞のあとのゴタゴタのせいで、なんとなく日本だとあまり取り上げられていない方のように感じるが、海外に出ていて日本ではあまり取り上げられない人はやっぱり多いよなァなんて思う。伊藤穰一さんや石井裕さんのように一般にはほとんど知られていないけど、文章や講演を聞くと明らかに天才だ!と思うような方々が、もっと注目されてくると、少しは日本も変わるんじゃないかななんて思う。
青色発光ダイオードのすごさや中村氏自身に関しては、堀江氏の対談が非常にわかりやすいので、ぜひご一読くださいませ。

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